「美保子、弟と”ろくぼく”に上る」

写真:美保子、弟と”ろくぼく”に上る。松井田小学校で。(父、撮影)

夏休みのある日、私は、一人、松井田小学校の助木(ろくぼく)のテッペンにいた。

真っ青な空、私が大きなヒトになったようで、上から見たときの心地よさ。

息をつくのも惜しいぐらい、解放感があった。

そんなとき、私をさがしにきた叔母の声が下から聞こえた。

叔母は我が家に居候していた母の妹で、独身、美しい人だった。

ミホコちゃーん。

今日は鰻をとるからね。

梅干しを食べてはいけませんよ。

ハーイ!!と私。

私の家の台所の物入れ、開く木のドアの内側に絵入りの”たべあわせ厳禁”が貼ってあった。

いつも見ていたので”鰻に梅干し、命にかかわる”は知っていた。

ろくぼくを下りて、自宅前の不動寺のお山へ。

一人で山を駆けめぐって遊んだ。

帰りに不動寺に寄り、同級生がいたので、お寺にある古ーい梅干しを大きな龜(カメ)から出してもらって、一粒ごちそうになった。

あの梅干し、今思い出しても甘酸っぱくて、シワシワで、なめればなめるほど、ほんとにホントに美味しかった。

家に帰り、母に”梅干し食べた”と言うと、じゃあ鰻は食べられませんよ、と言われた。

鰻重を美味しそうに食べる家族を横目に私は人生の絶望感なるものを初めて味合った。

あの悔しさ、悲しさ、少しぐらいなら大丈夫よ、と母に言ってもらえたらどんなに嬉しかったか。

それからこの年になるまで、どんなに機会があってもうなぎを食べることができなくなった。

昔、上京した父が新橋にうなぎ食べに行こうと誘ってくれたときも、娘たちと店の暖簾の前で別れて一人時間をつぶしたり、福井の永平寺町長さんに頂いた九頭竜川産特大鰻も眺めるだけで頂くことができませんでした。

昨7月24日は「土用丑の日」。

今も心に残っている、鰻への私の複雑な気持ちを思い出してしまいました。

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