進士 美保子 Mihoko SHINJI
「或る建築」
キャンバス・油彩
S S M
前回の東京オリンピックの1964年10月。
千駄ヶ谷の東京体育館(旧東京都体育館)に
東京オリンピック女子体操競技を見に行く。
当時 私は 高校2年生。
早稲田大学在学中だった兄が
チケットを購入してくれていたので、
兄の待つ上野駅へ高崎から上京したのだ。
その前日、クラス担任に、明日、東京オリンピックを見に行くので授業お休みさせて下さいと
申し出たが、先生は一言もない。
ダメダヨとか、イイナアとか
どちらもおっしゃらない。
いまでも私は、先生のお顔をはっきり覚えている。
丹下健三の代々木体育館を見て
建築家を志したという話をよくきくが、
槇文彦先生設計の東京体育館も
私には印象深い。
この日までの私の東京は、小学6年の修学旅行と、父に連れられて行った浅草国際劇場の
SKDだけだった。
そして この日 強く強く 私の心をとらえたのは
女子床体操のベラ・チャスラフスカだった。
金メダルをとったチャスラフスカは(当時22歳のはずが、)ものすごく大人っぽくて、
意志のはっきりした強い女性にみえた。
ほんとうに近い席で
チャスラフスカの顔も、しなやかな身体も
はっきりと見えた。
いまは故人のチャスラフスカは、
旧チェコスロバキアのプラハ出身。
民主化運動の「プラハの春」を支持し、
メキシコ五輪後も反体制の姿勢を崩さなかったため政府の監視下に置かれて不遇な時期を過ごしたらしい。89年の共産党政権崩壊後は
チェコ・オリンピック委員会会長などを務め
同国のスポーツ発展に尽力したとのこと。
チャスラフスカを見て私は思った。
女性の地位が低かった時代。
きりっとして将来をみすえている彼女は
素晴らしい女性だ。
実に尊敬に値する。
ほんとうに そう思ったのだ。

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