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「この星に生まれて」
進士美保子 Mihoko SHINJI 「この星に生まれて」部分 キャンバス・油彩・クレヨン S12号 脳出血のリハビリを兼ねて 私には、懐かしいふるさと、子ども時代の体験が昨日のように思い出されます。 群馬の妙義山の麓のまちで生まれ育った私は、 少し尖った”みょうぎ”のお山を朝夕眺め、 一日を過ごしていた記憶があります。 小学校の校庭で、春は、吹雪のように舞い降りる桜の花びらに針を通し、糸で首飾りをつくって遊んだり(それはずっしりと重かった)、 自宅の庭に咲いていた朝顔を水につけて 色水をつくり、できた青紫のジュースを小瓶につめたり(母はそのとき、着物の洗い張りをしていた)、 眼の前の不動寺というお寺の山に入り、 小枝や笹などを集めて基地を完成させ、 母に内緒でつくった味噌おにぎりを頬ばりながら、いっぱしの城持ち主を気取ったり、 小さな池の中、透き通ったゴムホースのような かたまりの中に、黒いゴニョゴニョした生き物が、蠢いて(うごめいて)いるのを、不思議な 面持ちで眺めたり(あとで考えると、おたまじゃくし)、 小学校裏の大きな池に沢山の鯉が住んでいるのに、男の子だけ参加の鯉釣り大会があるのを 悔しく思ったり、 大人用自転車を内緒で三角乗りして、転び、 膝を大怪我、でも母に言えずに自分で薬を塗ってなんとか治療し、隠し通したり、 蝗(いなご)をつかまえて、やっとの思いで虫籠に入れたら、逃げられてしまい大泣き、隣の おばさんにどうしたのと問われたが、恥ずかしくて言えなかったり、 父が飼っていた鶏がある日夕食のご馳走に化けてしまったことがあり、それ以来、この年齢になってもチキン調理ができなくなってしまったり、 妙義山遠足のあと、小学校の校庭で解散、私は リュックを置いてそのまま鉄棒の尻上がり練習に夢中、薄暗くなりようやく帰宅したら、 母にどんなに心配したか、と頬っぺたをたたかれ、泣きじゃくっていたら、父から、お母さんを心配させてはいけないよ、と諭されたり、 小学校の入学まもなく、休み時間に校庭で遊んでいたらチャイムが鳴り、みんないなくなり、 一人だけになった、 私はようやく遊び終わり、水道で手を洗っていたら、担任の優しい先生がニコニコしながら 捜しにきたり(私は、全然知らなかった、チャイムが鳴ったら休み時間が終わり、勉強が始まるということを)・・・・・・。 ああなんて素敵な子供時代を過ごしたことでしょう でも 何十年も経った今、どこかの星で起きた 遠い出来事のように 想い出だけで、 二度と味わうことが できないのです。
