Life Vignettes / 写真とお話

  • 「アローカリアの樹」

    「アローカリアの樹」

    進士美保子 Mihoko SHINJI 「アローカリアの樹」 キャンバス・油彩 M100号 夫が鉢植えの苗木をもらってきました。 “なんの木?” “「アローカリア 」って いうんだよ” 品川御殿山の、三菱開東閣の庭に 日本で初めて植えられた種類で 「南洋杉」とも言うらしい。 わっ! 「アローカリア」!! 素敵!!! 私は名前の響きに強く魅かれました。 早速 絵 に残そうと思いました。 どうも私は、前回紹介した画題、 「ウィルヘルムさんに会いに」でも同じですけど、名前の響きに魅かれる癖があるのです。 で早速、描きました。だけど、少しアレンジしています。 実は苗木の高さは40センチ程ですが、絵では 2メートル近くにし、天井に届くくらい高く 伸ばして描いています。 植物に詳しい方、ごめんなさい。 幹はもっと太く、いっぱいの緑でないとおかしいですょね。 ハッハッハッ

  • 「ウィルヘルムさんに会いに」

    「ウィルヘルムさんに会いに」

    進士美保子 Mihoko SHINJI 「ウィルヘルムさんに会いに」 キャンバス・油彩 SM 仮縁(枠)は自身で作製 カナダのオーガニック農場で ワークショップをするので 長女から、手伝ってくれない?と言われました。 長女の夫、マーク・ベンソンが日本の木造建築の凄さに惚れ込んでいて、カナダで是非その技をみんなに伝えたい、というのです。 今から9年位前のことです。 現在長女は、カナダBritish Columbia、州都ビクトリアからフェリーで20分程、リゾートの島ペンダー・アイランドに家族5人で住んでいます。静かな森の島で、”ベンソン まりこ。暮らしアクティビスト(日常生活における毎日の選択から世界を変えていきたい、という思いを込めた造語)”として、オーガニックライフを実践してます。 私、3ヶ月も本場の英語に親しめるんだ! 孫にも逢いたい。人生短いんだ! 行くしかない、と決心。 Air Canadaに飛び乗っちゃいました。(快く出してくれた夫と次女に感謝します!) 日本の宮大工、高橋さんらが講師で2ヶ月間のワークショップでした。 いろんな人とふれあい、楽しく有意義な毎日を送ることができました。 マーク手作りの桧風呂に入ったり、日本食をたまにつくったり、なんてこともありました。 最終日には拙い英語で感想を述べることもできました。 ワークショップに参加した方々から、彼らの手作りポスターに全員のサインを頂き、凄く嬉しかったことを思い出します。 でも 本当は・・・・。 ひどいホームシックにかかっていたのでした(長女には はじめて告白)。 ・・・・・・ そんなときいつも心を慰めてくれたのは 一羽の雄鶏でした。 農場には沢山の鶏が飼われていて、鶏たちは忙しく走りまわっていたのですが、その中で美事な鶏冠(とさか)を持ち、たくさんの雌鳥を従えている一羽の雄鶏が眼をひきました。 エバリンボで おすましで、その颯爽とした姿に強く魅かれた私は、ひそかに”ウィルヘルムさん”という名前を付けました。 というのも、ワークショップでお会いして、 “ウィルヘルムです”と自己紹介された男性の、 そのお名前の響きがとても素敵で、忘れないように一番目立つ雄鶏に付けちゃおうと思ったからなんです。・・・ゴメンナサイ。 ホームシックを解消するように鶏のウィルヘルムさんに、”今日はこんなことあったのよ”と絶えず話しかけていました。 鶏のウィルヘルムさんは私の話など全然聴こうとしないで、大勢の雌鳥たちと自由を謳歌しているようでした。 そんなこんなで、3ヶ月後に夫が 迎えに来てくれたときは、ラズベリーを摘みながら、うるさい位話し続けて、夫に、結婚以来あの様に猛烈に話す私を初めて見た、と笑われました。 私にとって何にも替えがたい貴重な日々でした。 現在、娘婿のマーク・ベンソンは、エコ建築のワー クショップでの思いを、具体化。「 Wood & Clay Homes」をペンダー・アイランドでたちあげ、家具やエコ建築大工として汗を流しています。 また彼は、Kayak Adventures Guideのライセンスもとり、時々は(しょっちゅう?)、趣味と実益と家族サービスにフル稼働中です。

  • 本

    何十年も前のこと。 群馬の高校2年のとき。 毎日のように図書室で本を借りて読んでいた。 下校して、一日が終わり、父母が就寝してからも、夜中に様子をみにくる父に気づかれぬよう 消灯したふりをして、電気スタンドと一緒に 布団を被って読書していた。 中でも『風と共に去りぬ』は面白くて おもしろくて 徹夜して読了。 そのうち図書室に、見慣れない若い女性がいらっしゃるようになり、カウンターで気楽に 著者名など おききしたりすることができるようにもなった。 ある日その方が、”あなたがタカジョで 一番 本を借りている人ですよ”とおっしゃって 小さな賞状と記念品を下さった。 放課後図書室に行き、本を借りて読んではいたものの、あくまで自分のためであって、賞状を 頂いたり褒められるためではなかったので 不思議だった。 あとでその方は、図書館の専門的職務に従事する「司書」という職業の方であることを知った。 あの司書の方が私にして下さったことが、 ずっと私に良い影響を与えて下さってることは間違いない。 現在も私は沢山の本に囲まれて暮らしているから。 フェイスブックで友達になり、その方の日常を想像したり共有したりの毎日が、昔、本を読んで いろんなことに思いを馳せていたことと 共通するような気がして、嬉しかったりする。

  • 「この星に生まれて」

    「この星に生まれて」

    進士美保子 Mihoko SHINJI 「この星に生まれて」部分 キャンバス・油彩・クレヨン S12号 脳出血のリハビリを兼ねて 私には、懐かしいふるさと、子ども時代の体験が昨日のように思い出されます。 群馬の妙義山の麓のまちで生まれ育った私は、 少し尖った”みょうぎ”のお山を朝夕眺め、 一日を過ごしていた記憶があります。 小学校の校庭で、春は、吹雪のように舞い降りる桜の花びらに針を通し、糸で首飾りをつくって遊んだり(それはずっしりと重かった)、 自宅の庭に咲いていた朝顔を水につけて 色水をつくり、できた青紫のジュースを小瓶につめたり(母はそのとき、着物の洗い張りをしていた)、 眼の前の不動寺というお寺の山に入り、 小枝や笹などを集めて基地を完成させ、 母に内緒でつくった味噌おにぎりを頬ばりながら、いっぱしの城持ち主を気取ったり、 小さな池の中、透き通ったゴムホースのような かたまりの中に、黒いゴニョゴニョした生き物が、蠢いて(うごめいて)いるのを、不思議な 面持ちで眺めたり(あとで考えると、おたまじゃくし)、 小学校裏の大きな池に沢山の鯉が住んでいるのに、男の子だけ参加の鯉釣り大会があるのを 悔しく思ったり、 大人用自転車を内緒で三角乗りして、転び、 膝を大怪我、でも母に言えずに自分で薬を塗ってなんとか治療し、隠し通したり、 蝗(いなご)をつかまえて、やっとの思いで虫籠に入れたら、逃げられてしまい大泣き、隣の おばさんにどうしたのと問われたが、恥ずかしくて言えなかったり、 父が飼っていた鶏がある日夕食のご馳走に化けてしまったことがあり、それ以来、この年齢になってもチキン調理ができなくなってしまったり、 妙義山遠足のあと、小学校の校庭で解散、私は リュックを置いてそのまま鉄棒の尻上がり練習に夢中、薄暗くなりようやく帰宅したら、 母にどんなに心配したか、と頬っぺたをたたかれ、泣きじゃくっていたら、父から、お母さんを心配させてはいけないよ、と諭されたり、 小学校の入学まもなく、休み時間に校庭で遊んでいたらチャイムが鳴り、みんないなくなり、 一人だけになった、 私はようやく遊び終わり、水道で手を洗っていたら、担任の優しい先生がニコニコしながら 捜しにきたり(私は、全然知らなかった、チャイムが鳴ったら休み時間が終わり、勉強が始まるということを)・・・・・・。 ああなんて素敵な子供時代を過ごしたことでしょう でも 何十年も経った今、どこかの星で起きた 遠い出来事のように 想い出だけで、 二度と味わうことが できないのです。