-

「私の人生に猫はいなかった」
進士 美保子 Mihoko SHINJI 「私の人生に猫はいなかった」 キャンバス 油彩 F30 額も自身で作製 令和3(2021)年8月13日の金曜日。 暗い絵でゴメンナサイ。 今日はお盆なので亡き弟の思い出を記します。 私の弟は46歳で他界。虚血性心疾患で突然に。私とは3つ違いだった。 かって亡き父の法事で高崎の実家を訪れたとき、畳の部屋でビデオを見せてくれたことがあった。畳の光景が鮮明に記憶に残っている。 弟が私に「お姉ちゃん、オレの一番好きな映画観てくれる?」と。 夫と私は、弟と『E.T.』を観た。 ・・・・・・・・ 松井田にいるときは町中の人気者だった。 私の可愛い弟。邦英。 クンボ クンボ と呼ばれてみんなに可愛いがられていた。 小学校時代、リヤカーに足をはさまれたとき、 “クンボが大変だーーー”と町中が大騒ぎした。 当時では珍しいおもちゃの電動ロボットが 我が家に登場したときはこわがって泣いていた。私など何とも思わないのに。 父の仕事の関係もあって高崎に引っ越した後、中学校での弟は人が変わったようになってしまった。 転校して、高崎の同級生にいじめられて、松井田時代には経験しなかった辛いことがあったのだ。 弟の中では小学生の頃の暖かい松井田が、 いつも思い出されていたのだと思う。 やさしくて純粋だった弟。 だから『E.T.』が好きだったのだろう。 そして、短い生涯を終えてしまった。 新婚の頃、 大学生の弟が我が家に遊びに来た。 丁度遊びに来ていた夫の母が、”美保子さん、 弟さん、なんてイイ男なんでしょう”と誉めてくれた。こんなことメモして気恥ずかしいけど、母が弟をほめてくれてホント嬉しかった(ので)。 油絵で一言。 子どもの頃飼ったことがあるのは亀と鶏だけ。 母が嫌いだったので何も飼えなかった。 結婚し、申年の夫が犬猿の仲だからとか言って 犬や猫が家族の一員になることはなかった。 わたしの猫は、油絵の門柱の脇にいます。猫の影は男のひとになっています。
-

「或る建築」
進士 美保子 Mihoko SHINJI 「或る建築」 キャンバス・油彩 S S M 7月23日から東京オリ・パラが始まる。 前回の東京オリンピックの1964年10月。 千駄ヶ谷の東京体育館(旧東京都体育館)に 東京オリンピック女子体操競技を見に行く。 当時 私は 高校2年生。 早稲田大学在学中だった兄が チケットを購入してくれていたので、 兄の待つ上野駅へ高崎から上京したのだ。 その前日、クラス担任に、明日、東京オリンピックを見に行くので授業お休みさせて下さいと 申し出たが、先生は一言もない。 ダメダヨとか、イイナアとか どちらもおっしゃらない。 いまでも私は、先生のお顔をはっきり覚えている。 丹下健三の代々木体育館を見て 建築家を志したという話をよくきくが、 槇文彦先生設計の東京体育館も 私には印象深い。 この日までの私の東京は、小学6年の修学旅行と、父に連れられて行った浅草国際劇場の SKDだけだった。 そして この日 強く強く 私の心をとらえたのは 女子床体操のベラ・チャスラフスカだった。 金メダルをとったチャスラフスカは(当時22歳のはずが、)ものすごく大人っぽくて、 意志のはっきりした強い女性にみえた。 ほんとうに近い席で チャスラフスカの顔も、しなやかな身体も はっきりと見えた。 いまは故人のチャスラフスカは、 旧チェコスロバキアのプラハ出身。 民主化運動の「プラハの春」を支持し、 メキシコ五輪後も反体制の姿勢を崩さなかったため政府の監視下に置かれて不遇な時期を過ごしたらしい。89年の共産党政権崩壊後は チェコ・オリンピック委員会会長などを務め 同国のスポーツ発展に尽力したとのこと。 チャスラフスカを見て私は思った。 女性の地位が低かった時代。 きりっとして将来をみすえている彼女は 素晴らしい女性だ。 実に尊敬に値する。 ほんとうに そう思ったのだ。
-

「呻吟する手」
進士 美保子 Mihoko SHINJI 「呻吟する手」 キャンバス・油彩、クレヨン M20号 母親の手の指は何本あってもよい。 すべて、子供と手をつなぐためにある。 でも母の娘だった私は・・・。 あれは桜吹雪が舞う暖かい日。 琴平さまの帰り道だった。 小学1、2年の頃。 和装の母と手を繋ごうと、私は 右手で母の手を探し求めた。 ようやく さぐりあてて 母と手をつなごうとすると・・・。 イヤな子だねえ、といって 私の手をふり払った。 その出来事は何十年経った今も、 忘れることができない。 その後も私は母に抱きしめてもらったことも 手をつないでもらったこともない気がする。 母は女学校出て直ぐ、18歳で結婚したので まだ娘気分が抜け切れていなかったのかも知れない。 母は私に習いごとをいろいろさせたり、 勉強をみたり、 洋服も洋服屋さんで全て誂えてくれた。 幼稚園や小学校遠足のお弁当もハイカラなものでありがたかった。 私が結婚して、二人の娘の出産時には高崎に 帰省して世話になったり、心配事の相談に のってもらったり、心から感謝している。 父の死後、母が歳をとってからは私と手をつないでスーパーで買い物したり、腕を組んでお芝居見物に出かけたりした。 “お父ちゃん 手ーーー!!” “オー!!” 今は夫が手をさしのべてくれて いつでも私の手を握ってくれる。
-

ケイティー・ペリー
腰痛。 未だ 治らず。 どうして? 娘たちの 強いすすめ もあり、 親切な先生の病院へーー。 MR検査で、第1腰椎 圧迫骨折 と診断いただいた。 先生のお話しでは、コルセットを巻いて どんどん歩いたり、姿勢を正しく座るなど あと4週間程注意深く過ごせば 大丈夫とのこと。 ふりかえると 自宅で転倒し、両手が受身で何事もなかったと安心したのに、その後 激しい 腰痛。2、3週間我慢していたが、治らず、 正月もこのままではイケナイ、と観念して検査を受けたのだ。診断していただいてホントウに 安心した。 この事態を素直に受けとめ、楽しく暮らそう。 夫にもいっぱい迷惑をかけた。 いつもありがとう。感謝してます。 ガンバリマース!!
-

「トイレ 讃歌」
進士 美保子 MihoKo SHINJI 「トイレ 讃歌」 キャンバス・テンぺラ F20号 「おしりたんてい(ポプラ社 さく・え トロル)」が大好きな次女の長男に触発されてーーー。 私ごとで気がひけるのですが ・・・・。 子ども時代の汲み取り式ボットン便所について お話ししても よろしいですか! 私の生家には、2つのお便所がありました。 群馬県の松井田町というところです。 東側は家族用、西側はお客様用。 引き戸を引くと、入ってすぐが男子便所、奥が 婦人用でした。 男子便所には朝顔(男の小便用の便器)、女子便所には、金隠し(広辞苑によると、金玉を隠すの意。大便所の便器の前方に設けた遮蔽物。 転じて、そのように作られた陶製の便器、とある。)が。 小さい頃、男性は朝顔だけを、女性が金隠しを 使用するもの、と思ってました。 成長して、 男性も金隠しを使うんだとわかったとき その名称から、便所も男性優位に出来てるんだなーと思ったのは私だけでしょうかね。 床は、フカフカしており、いつか床が抜けて 深い汚物の穴に落ちるのではないか、とたまらない恐怖を覚えました。 便所の床には高さ15㎝位の掃き出しがあって 床のゴミは箒で外に掃き出しました。 格子窓には木の格子がはめこまれていました。 便所に入ると、右側隅にトイレ用新聞紙が。 父は几帳面で、A5の大きさに切った新聞紙が お菓子の羊羹をたてたように、美しく積み重ねられていました。 遊びに来た叔母が、兄さんは きちんとしてるけど、それを家族や回りの人に強要しないから 良い、と話していました。 当時は、新聞紙はクシャクシャと手で揉んでから使いました。今では全く考えられませんが、 最初は新聞紙、次に うす黒いチリ紙(塵紙)、 その次は少し白いチリ紙、それから現在のような美しく柔らかいトイレットペーパーに変わってきたわけです。 便所を出たら 手を洗います。 ブリキでできていて水の入ったスマートな バケツのようなものの底に、ジョウロのように 小さな穴が沢山ある水栓があって、それを 下から手で押し上げると、少し水が出て、それで手を洗うのです。手にも、ジョウロにも水が 流れて洗われるので、清潔な感じです。 脇にはきれいな日本手拭いが下がっていて これで手を拭きます。 汲み取りは”イシちゃん”という若い 汚わい屋さんにお願いしてました。…
-

「電話 ボックス の女」
進士 美保子 Mihoko SHINJI 「電話 ボックス の女」 (部分) キャンバス・油彩 F 30号 額も自身で作製 今はケイタイやスマホで済ませますが、 私は、あの透明な公衆電話ボックスが 大好きでした。 災害対策もあって 小学校や駅の脇などに ひっそりと立っている電話ボックスをみつけると、寂しそうで 私は少し気の毒になります。 電話のモデルは私、先日の”小さな自画像”も 私です。 鬼塚さんが言ってくださったマドンナとは、 真逆の 鬼の顔 です。 絵の左側にも透明なボックスを描きました。 そこには、男性トイレと放尿する男の姿が あります。 (いやらしく描いてませんので ご安心を。) 人と人のコミュニケーションの電話ボックスと これも人にとって大切な生理現象を 同じ画面に描いてみました。 私は”私の顔”を他の ひとのように 実際に見ることができません。 鏡に映った自分か、写真などで 自分を見るだけです。 一度 第三者として”自分”を見てみたいです。 ヤダー、ナニー、コレがー? きっと こんな感覚になるでしょう。 ですから夫に、先日の自画像が 普段の私と違う、と言われても、 よく わからないのです。 皆さま は ご自分を 第三者の目で眺めたこと、おありですか?



